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【books】三十五歳たちへ。/泉麻人(1993)

20年前、泉麻人は歳を取ることについて何を考えていたか。

自宅の本棚をざーっと整理していくと、10年前に買って、途中で読まなくなった本が出てきたのです。それが、「三十五歳たちへ。/泉麻人」なのです。「ああ、そうか。泉麻人か。そうかそうか」などと言って読み始めたのです。私は32歳を目前に控え、このときの泉麻人さんに近づきつつある年齢。そんなこともあり、ページを開かずにはいられなかったのです。

実年齢的には近づきつつあるけど、生まれ育った年代は大きく違うので、分からないマニアックな話も部分も多分にあるのですが、ここにあるのは、時の人、時代を体現する若者を過ごした“コラムニスト・泉麻人”が、中年を迎えることに対する照れとか、寂しさとか、希望とか落ち着きとか、そういったものがない交ぜになったような感情が文章のそこかしこに現れ、それは30代前半を突き進む私の胸にも20年の時を越えて(この本は1993年に書かれた)刺さるものがあったのです。

泉麻人さんがこの本で対峙しているのは、新人類としてそれまでとはまったく違う“ナウな”価値観を背負った世代が、歳を取ることに戸惑っているという話で描かれていて、それは「いつまでも若くありたい」と「良い感じの枯れたオヤジへの憧れ」というダブルスタンダードの葛藤が、脳天気なコラムのそこかしこに立ち現れて、リアルタイム(当時私は中学生だった)とは違う読み方ができるようになっていました。

さて、この本の執筆当時と現在における35歳の意味の違いを考えると、歳を取ることの意味はこの20年で大きく変わってしまったと感じるのだ。今の35歳は、この頃の35歳のような寄る年波の焦りを感じているだろうか。それは、泉麻人さんをはじめとした新人類世代が、歳の取り方の概念をちょっとずつ変えた結果、このような世の中になったのであろう。先人達の苦労があって、我々は30代になってもカラオケに行ったり、ガリガリくん食べたり、牛乳瓶のフタを集めたり、コンパに行ったりといった一昔前なら子供っぽいとされてきた行為を違和感なく行えるのである。

ところで気になるのは、今は泉麻人さんの世代と別のバイアスが35歳にかかっているということだ。本人はオジサンになりたいのに、世間がなかなか歳を取らせてくれない。これは1993年の社会と別のバイアスである。35歳の泉麻人さんはもはや書き手としての円熟期に入っているのだが、私や私と同世代の書き手はどうだろう。いまだ“あるはずの未来の熟成”を目指して暗中模索しているイメージだ。我々は歳を取れなくなってしまった。人生の折り返しとも言える35歳を迎えてもなお。

そんなこんなで、年齢の価値、時代の空気、どちらのベクトルからも楽しめる本でした。小学生の朝井麻由美がマリオブラザーズにハマる描写も出てきて、とても楽しかったです。